「マツダ」
マツダのブランディング力は日本車のデザインで群を抜いている。
他の日本車メーカーにはない特徴を列挙してみようと思う。
①デザインの統一性
マツダは車の顔とも言えるグリルをはじめとして車体デザインを統一することによって、マツダという「企業全体の強力なブランドイメージ」を作り上げている。
例えばトヨタで言えば、アクアからハリアー、ハイエースまで、それぞれ全く異なったデザインになっている。
だから、トヨタ全体としては「トヨタの車ってこういう車だよね」というはっきりしたイメージを持つことはできない。
一方、マツダは小型のデミオから大型のCX-60まで、ほとんど同じデザインになっている。
だから、「マツダの車ってこういう車だよね」というように、「マツダ車全体の強いイメージ」を作ることができる。
「赤の炭酸飲料といえばコカ・コーラ」、「三本線の入ったスポーツブランドといえばアディダス」、、というように、「企業」と「イメージ」が簡単に結びつけられる企業・製品ほど、強いブランドになる。
それは消費者が一つのイメージを何度も繰り返し見たり感じることで、いつの間にか親しみ・信頼感などのいいイメージを抱くようになるからだ。
これは人間関係と同じだ。
いろんな人と一回ずつあっても親しみが湧くことはない。だが、同じ人と何度も会ううちに自然と親しみが湧いてくる。
「単純接触効果」みたいなものだ。
それぞれの車種でバラバラのデザインをしていると、それぞれの車種が持つイメージが混ぜこぜになって「強烈な一つのイメージ」を作り出すことができない。
女性向けのかわいい車もあれば、ファミリー向けの親しみやすい車、アウトドア好きのためのワイルドな車もある、ではイメージが分散してしまって一つの強力なイメージを作ることはできない。
マツダの統一したデザインは「マツダの車はこういう車だよね」という強烈なイメージを作り出すのに効果を発揮している。
ブランディングをする上で、「人ははっきりとイメージを持てないモノには親しみを感じられない」という認識が重要だ。
だからこそデザインを統一し、はっきりとイメージが湧くまでイメージの刷り込みをしていくのだ。
②カラーイメージの統一
マツダ車は色のイメージも統一している。
他の日本車メーカーでは行っていないことだが、マツダの場合「ソウルレッドクリスタルメタリック」や「ポリメタルグレーメタリック」など、定期的にイメージカラーを発表し、CMや店頭などでも最前面に押し出している。
それによって消費者も何度も繰り返し見ることで見慣れたイメージカラーを自然と選択するようになり、結果として街なかのマツダ車の色もある程度似たような種類の色に収束する。
そうすることでさらに街なかでマツダのイメージカラーを多く見かけるようになり、ますますマツダのイメージが強化される。
マツダがイメージカラーを発表し積極的に打ち出していくことも、「マツダイメージ」の強化に役立っている。
逆に言えば、イメージカラーを意図的に数種類に絞り込むことで、少しでもマツダのイメージがぼやけてしまうことを避けているのだ。
「イメージがぼやけるのを防ぐ」という視点はブランディングにとって重要だ。
③シンプルなデザイン
マツダのデザインは単純にいえば「ごちゃごちゃしていない」。
車全体のそれぞれのパーツが同じような流線形で構成されているため、全体としてまとまりのあるデザインになっている。
一方で、例としてトヨタの「ライズ」だが、それぞれのパーツをくっつけた感じになっている。車全体のデザインに流れが感じられない。
ヘッドライトの形で見るとすれば、「ライズ」が何角形かわからないようなシンプルとは程遠いようないびつな形をしているのに対して、マツダのCX-5は非常にシンプルな流線型で構成されている。
言葉で表現することは難しいが、「高級感を感じるデザイン」になっているように多くの人が感じるのではないだろうか?
それは「凹凸の少ない流線型」、「シンプルな曲線で構成されているパーツ」、「全体としてのまとまり感」などによる印象だ。
車としてすべての無駄を排した完成されたデザインという感じがする。
流線型の感じやシンプルなパーツ形状、全体のまとまり感などを考えると、マツダ車はトヨタ車と比べると高級車、ロールスロイスに近いような流れを感じないだろうか?
マツダのデザインからは「自動車の完成形を作ろう」というようなこだわりが感じられる。
他の日本車メーカーが新型車を出すたびにデザインをコロコロ変えてしまうのとはワケが違う。
消費者の感覚からしても、「デザインを変えない=強いこだわりがあるんだ」とごく自然に感じられるはずだ。
デザインを徹底的に考え抜き、どの車種にも、何年にも渡って受け継いで用いているデザインの方が、新型になるたびにコロコロ変更するようなデザインよりも機能性・合理性・美しさを感じるのは当然ではないだろうか?
そしてそのこだわりがあるからこそ、今、マツダが強固なブランドになりつつあるのだと思う。
手書きフォントの老舗ブランド力
手書きフォントは今や魅力的なブランディング手法だ。
グラフィックソフトによる無機質なデザインとは異なり、歴史・伝統・文化を瞬時に感じられる。
そして、力強さや勢いなど、その字を書いた人の息遣い、こだわりまで感じられる。
「文字に魂が宿っている」といった感じだ。
現代のグラフィックソフトによるロゴは味気ない
現代のデザイン業界はあまりにも「グラフィックソフト一辺倒」過ぎる。
既成のフォントをそのまま使ったり、グラフィックソフトの編集機能を使って無理くり「手書き風」にしたり。
すべてパソコン上、グラフィックソフト上の作業で手っ取り早くやってしまおうとするあまり、無機質なロゴやデザインに終始してしまっているように思う。
それにより、本来味のあった老舗のロゴマークも、無機質な味気ないロゴに作り変えられてしまっている場合も多いように感じられる。
下の「文明堂」のフォントも最新のものは味気なく感じないだろうか?
やはりパソコンによる無機質な文字になってしまっている。
昔の手書き文字のほうが味があり、こだわりを感じるのは言うまでも無いだろう。
滲みやカスレ、歪みなど、パソコンでは表現できない手書きの味わいがなくなり、キレイに「デジタル化」されてしまうことで味気のない、無機質な文字になってしまう。
時代はデジタル社会になり、パソコンで簡単にロゴを作れる時代になった。
だからこそ、その時代の流れに乗らず、頑なに手書きの味わいを残し続ける老舗企業がよりキラリと輝くようになっていくのではないかと思う。
老舗企業は「歴史のもつ重さ」を今以上に認識してほしい
伝統ある「手書き商標」、「手書き屋号」、「手書き包装紙」などがあることは老舗企業によって何よりの資産だ。
それだけで「長い歴史と伝統がある」ということを容易に表現することができるのだから。
創業10年の和菓子屋と創業100年の和菓子屋であれば、創業100年の和菓子屋の和菓子を食べたくなるのが消費者というものだ。
だからこそ、その古い歴史を最大限活かしてほしい。
そして「古い歴史を最大限活かす方法」こそ、古いモノを変えずにそのまま使い続けることだ。
商標や屋号、包装紙、看板や店舗、内装に至るまで、最大限「古いものにこだわる」。
そうすることで消費者は自然と「伝統という価値」を感じることができる。
「歴史は価値」、「伝統は価値」。
変化のスピードが早い時代だからこそ、「変わらないことの価値」をしっかりと再発見してほしい。
「ポカリスエット」
大塚食品の製品にはロングヒット商品が多い気がする。
その一つがポカリスエットだ。
一瞬で「ポカリだ」と分かるパッケージがポカリスエットのブランド力を示している。
ポカリスエットの「青」
ベタな青と白の二色しか用いないことで、「青いスポーツドリンクと言えば、ポカリスエット」と言うほどの強烈なブランドイメージを作り上げている。
「赤いパッケージの飲み物と言えば、コカ・コーラ」というのと同様、商品に「単色のイメージ」を結びつけるのは非常に効果的だ。
パッケージをベタの真っ青にするからこそ、「青のイメージ」を我が物にできるのだ。
青の割合がもっと少なかったり、ベタの青ではなくグラデーションを入れてしまったり、少しでも他の色を入れてしまったりしたら、それだけで「青のイメージ」は薄まってしまっていただろう。
潔く、ベタの青を使ったからこそ、「青のイメージ」を独り占めできたのだ。
フォント・デザイン
はっきりとしたシンプルな英字フォント。
このフォントは「ポカリスエット=機能的飲料」というイメージに合致している。
「脱水症状を予防する」という「科学的機能」が一番の売りのドリンクだから、第一に機能的なイメージが必要なのだ。
だから「美味しそうなフォント」「スポーティなフォント」などではなく、意図的に「無機質なフォント」を使っている。
そうすることで「機能的飲料」というイメージを損ねることがない。
もしもっとクセのあるフォントを使っていたら、別のイメージが生じてしまい、「機能的飲料」というイメージは薄れていただろう。
これは類似する経口補水液「OS-1」のフォントが無機質なフォントになっているのと同様だ。
ただ、ポカリスエットの場合はその「無機質なフォント」の下に波をイメージするデザインがあることで、完全無機質な経口補水液とは違う「爽やかさ」「潤い」を加味している。
このフォントとデザインが「脱水症状を予防する」という「科学的機能」と、「水よりもヒトの身体に近い水。」という「潤いのイメージ」を絶妙なバランスで表現しているのだ。
不変のデザイン
ポカリスエットはこのパッケージをずっと変えることなく使ってきた。
「長く変えることなく継続する」ということは、ブランディングにおいて最も重要と言えるほど重要だ。
「この商品は一貫した理念の下、作られてきた」という信頼感を与えることができる。
コロコロ何年か置きにパッケージを変えるような商品ではそうした「一貫性のイメージ」を与えることができない。
人でもコロコロと信念を変えてしまうような人では信用されにくい。
それと同じように、「変えないことによる一貫性」は商品において強い信頼感を与える効果を持つ。
統一感
ペットボトルでも、缶でも、粉でもパウチでも、全く同じパッケージデザインになっている。
この統一感は「ポカリスエットの世界観」を維持・強化し、決してぼやけさせない。
下の新しいリターナブル瓶ボトルも、その「ポカリスエット世界観」に見事に収まり、そして「ポカリスエット世界観」をさらに拡張する役割を担っている。
ペットボトルでも感でも、瓶でも、、、それぞれの商品が「ポカリスエットの世界観」を壊さないよう、ド真ん中を射抜くようにきちんと収まり、さらにラインナップの一員として「ポカリスエットの世界観」の拡張に寄与している。
この統一感を維持したラインナップが、ポカリスエットのブランドをさらに強力にしている。
電解質濃度の表示が「科学的機能」をイメージさせる
ポカリスエットはスポーツドリンクだから、「ただのおいしい清涼飲料水」ではなく、「脱水症状を予防する」という「機能」が一番の売り、価値になっている。
だから、その「機能」を「イメージ」させるパッケージになっている。
具体的には、化学式Na+やCl-、濃度も(mEq/L)など、実際に科学の研究室で使われているような表現で記載しているのだ。
これは「何が入っているかを消費者に理解させる」という意図よりも、「科学的理論に基づいた製品であるという『イメージ』」を与える効果がある。
だからあえてカタカナではなく、研究室で使われているような学術的な表現で記載しているのだ。
ここで「ナトリウムイオン」「カリウムイオン」、、、とカタカナで表記してしまったら印象として「科学的イメージ」は弱まってしまうだろう。
「理解させるためのパッケージ」ではなく「イメージさせるためのパッケージ」という考え方は、パッケージデザインの中でも巧妙なテクニックだ。
一方で、美味しさを表現する表示がない。
これは美味しさを示す表示を入れた場合、「脱水症状を予防する」という「機能的飲料のイメージ」を弱めてしまうためだろう。
もし「~製法」「~の天然水を使用」など、「味に関するこだわり」を表示してしまったら、「機能的飲料のイメージ」はどうしてもぼやけてしまう。
「機能的飲料のイメージ」を強化するために、あえて他の要素を表示していないのだ。
CM・広告
ネット検索で「ポカリスエット 広告」と検索すると、ほとんど検索画面が青になる。
それだけ徹底して、意図的に「青のイメージ」を使っているということだ。
また、CMはほとんどの場合、海、水、プール、といった感じだ。
これは「水よりもヒトの身体に近い水。」という「潤いのイメージ」を徹底して表現するためだろう。
それから高校生、若者、といったイメージもある。
これは「若さが与える爽やかさ=青」というイメージ、そして「若さ=潤い」というイメージをポカリスエットに利用していると考えられる。
ポカリスエットのCMはポカリスエットが画面上になくても「なんとなくポカリスエットのCMっぽいな」と感じられたりする。
それほど、CMの雰囲気とポカリスエットがリンクしているということだ。
まとめ
ポカリスエットからは、「水よりもヒトの身体に近い水。」というコンセントに根ざした一貫性のあるこだわりを感じる。
こうした世界観の作り込み、世界観を維持・拡張していく一貫性のあるラインナップ作りがブランド力の根底にあると思われる。
「雪肌精」
スキンケアブランドの「雪肌精」。
最近のボトルやパッケージを見て、ブランディングに力を入れ始めたな、と感じた。
化粧品自体の品質はさておき、そう感じるのはボトルなどをはじめとしたデザインの印象が大きいのではないかと思う。
容器
上の写真が最新の雪肌精の容器だが、キャップの大きさがボトルの大きさと同じになっていることで一つのモノとして外見的にシンプルな形になっている。
また、よく見ると、容器の形は真円形ではなくやや歪んだような円形となっている。
これは「雪肌精が自然派化粧品である」というイメージを強化している。
これがもし一般的な真円形のキャップだったとしたら、歪んだ円形と比較するとなんとなく「人工感」を感じると思われる。
意図して歪んだ円形にすることで、植物の雫をイメージするような「ナチュラル感」を印象を付けている。
真円形をしているほとんどの容器は、どうしても「ありきたり感」が出る。
そうすると容器一つにとっても「違い」、「作り込み」を感じにくい。
容器メーカーのカタログにあるようなボトルを使っていては「こだわり」を感じさせるのは難しい。
その点、この雪肌精の造形はかなりのこだわりではないかと思う。
また、キャップなどはマット加工がされている。
マット加工がどんな印象を与えるかと言うと、同様に「ナチュラル感」を感じさせる。単に無加工のプラスチック容器では表面に光沢が出るため「いかにもプラスチック」という「人工感」が出やすい。
一方でマット加工は見た目・手触りともに、自然界にある石のような質感で「ナチュラル感」を感じやすい。
実際に触ってみると、無加工のプラスチックが指にピタッとくっつく感覚とは違い、指にサラッと触れる感覚があり、明らかに心地よい。
「ナチュラル感」を押し出す化粧品では、こうした容器の質感へのこだわりも一つの要素となる。
ボトルとキャップ、全体の構成を見てもブランディングの強化を意図したデザインが感じられる。
以前のボトルはありきたりな造形のボトル・キャップとなっている。
「青のボトルに白いキャップ」という2つの、造形的にも一体性のないパーツで構成されているため、どうしても「人工物」という印象をもってしまう。
最新のボトルが「青一色で統一されており、歪んだ円形をしていることで一つの自然物をイメージさせている」のとは対照的だ。
また、古いボトルでは銀色の部分があるが、この銀色が「作り物感」を増幅させ、「ナチュラル感」を減衰させる印象を与えていた。
ブランディングを強化するためには、視覚・触覚、、に関して「消費者に与えたいイメージ」と「実際に商品の造形が与えるイメージ」を一致させるための細かな作り込みが必要となる。
容器メーカーに様々な既成の容器がある中でも、商品に合わせて容器を一からオーダーメイドするような作り込みをしなければ、「消費者に与えたいイメージ」にピッタリと合致するような造形は作れないのではないかと思う。
パッケージ
パッケージに関してもかなりこだわりがあるように感じる。
容器が青だからパッケージも青でいいような気もするが、あえて無着色の(ダンボールのような)箱を使うことで、こちらも「ナチュラル感」をイメージさせる効果をもっている。
「人工的に着色した紙箱」よりも「無着色の、生成りの紙箱」の方が「ナチュラル感」を感じさせるのは至極当然だ。
これは「無印良品」の商品のほとんどが生成りの、無着色の商品であることと類似している。
ロゴ
続いてロゴだが、これは以前のロゴの方が良かったのではないかと思う。
この手書きのようなフォントが「ナチュラル感」を感じさせていた。
まるで「冷たい雪解け水の雫」を感じないだろうか?
手書き風の細かな「歪み」や「滲み」がもたらす「ナチュラル感」や「こだわり感」はPCによるグラフィックデザインでは表現できない。
雪肌精のように自然派志向の製品の場合、「ナチュラル感」を与えるために手書きフォントを用いるのはかなり効果的だと思う。
(森永製菓の「小枝」も類似する特徴的なロゴになっている)
この点、残念ながら新ロゴはデジタル的、グラフィック的で、「人工感」が出てしまっている。
おそらくそれでも「ナチュラル感」を出そうとしている意図は感じられるが、直線部分があまりにも歪みのない直線だったり、滲みがないため、旧ロゴと比較して「作り物感」、「ありきたり感」を感じる。
「味気ない」、「ぬくもりを感じない」というイメージだろうか?
やはり「ナチュラル感」という点に関しては手書きのロゴには敵わない。
「雪肌精」の今後
現在のラインナップを見ると、まだ完全にはボトルなどのイメージの統一ができていないようだ。
今後、こうしたそれぞれのラインナップの間できちんと一貫性のある統一ができればより強いブランドになっていくのではないかと思う。